初めて来々軒に行ったのは数年前のことだ。
一緒に飲みに行った社長に連れて行かれた。
かなり年配のオヤジと若いフィリピーナ?の従業員が店を切り盛りしている。
オヤジはラーメンをつくる。
フィリピーナはたいてい、スマホをいじっている。ときどきラーメンを出すのを手伝う。
オヤジは、こう言う。
「うちはしょうゆラーメンがおすすめなんだわ」
「札幌ラーメンといえば味噌だと思われてるけど、もともとはしょうゆなんだよ」
また、オヤジは、こうも言う。
「うちはチャーシューが自慢なんだよ」
オヤジのおすすめに従ってしょうゆラーメンを注文する。
数分後、オヤジができたてのしょうゆラーメンを差し出す。
オヤジは、カウンターに寄りかかって、俺がラーメンを食べる様子を見ている。
大きな期待を胸に、ひとすすりする。
そしてむせる。
心の中でこう叫ぶ。
「味しねぇ!」
そんなわけないだろうと思い、もうひとすすりする。
「やっぱり味しねぇ!」
オヤジの方を見ると、とんでもないドヤ顔でこちらを見ている。
「な?うまいだろ?」とでも言いたげだ。
オヤジが自慢だというチャーシューを食べてみる。
「固っ!」「そして冷たっ!」「しょっぱ!」
チルド室から出したばかりのような冷たさ。
文庫本くらいの分厚さ。
塩漬けでもしたのかというしょっぱさ。
自慢のチャーシューがそんなわけないだろうと思ってもうひとくち食べてみるが、やはり、固くて、冷たくて、しょっぱい。
そうして、カッチカチのチャーシューをときどき挟みながら、
「味しねぇ!」
「そんなわけないだろう」
「やっぱり味しねぇ!」
という自問自答を繰り返していると、いつの間にか完食してしまう。
この間、オヤジは、ずっと、カウンターに寄りかかりながら、とんでもないドヤ顔で俺を見ている。
食べ終わると、罰金を支払うような気持ちで代金を支払い、店を出る。
店を出るときも、オヤジは、とんでもないドヤ顔でこちらを見てくる。
「うまかっただろ?」と、表情でプレッシャーをかけてくる。
プレッシャーに負けて、「いやーうまかったです」と言うと、オヤジは満足そうに笑う。
店を出ると、この店にはもう二度と来ないと誓うのだ。
どうしてこんなに味がしないラーメンがつくれるのか。
どうしてこのラーメンであのドヤ顔ができるのか。
行く意味が分からない。
もう二度と行かない。
しかし、数日後、自問自答が始まるのだ。
「800円のラーメンが味しないわけないんじゃないだろうか」
「あんなに黒いスープが味しないわけないだろ」
「味の来々軒なのに味がしないわけないだろ」
「そんなカッチカチのチャーシューが出るわけないんじゃないか」
「ラーメン横丁の老舗のラーメンが味しないってことはないだろう」
「昔風すぎて物足りないとか、コクが足りないとか、そういうことはあるとしても、そもそも味がしないなんていうことがあるわけないだろう」
「けっこう酔っ払ってたから、記憶違いかもしれない」
「ちょっと確かめに行こう」
そうして、再び、来々軒に行ってしまうのだ。
再訪すると、いつものように、オヤジとフィリピーナが出迎える。
ちなみに、しばらくの間、若いフィリピーナはオヤジの妻で年の差カップルなのかなと勘違いしていたが、実際はフィリピーナはオヤジの嫁ではなく、オヤジの甥っ子の嫁だということが後に分かった。
ラーメン横丁は観光名所なので、どの店も観光客でいっぱいだ。
しかし、来々軒には、ぜんぜん客がいない。
オヤジによると、しょうゆがおすすめで、チャーシューが自慢なのだから、正解はしょうゆチャーシュー麺ということになるはずだ。
そう考えてしょうゆチャーシューを注文すると、オヤジは、「わかってるじゃねぇか」とでも言うようなドヤ顔をする。
数分後、しょうゆチャーシューが出てくる。
どんぶりの一面に、文庫本の厚さのチャーシューがちりばめられている。
スープは黒い。
麺も伝統的な札幌ラーメンらしい黄色いちぢれ麺だ。
値段も1000円と安くない。
これが美味いかどうかはともかく、そもそも味がしないなんてことがあるわけがない。
そう思い、麺をひとくちすすると、ブフォッとむせる。
「やっぱり味しねぇ!」
ひとくちめは必ずむせてしまう。
きっと、視覚と味覚の情報がまったく一致しないため、身体がびっくりするのだ。
チャーシューを食べてみる。
「固!冷た!しょっぱ!」
やはりカッチカチで冷たくてしょっぱい。
来々軒でチャーシュー麺を食べた夜はいつも、必ず夜中にのどが渇いて目が覚めてしまう。
夜中に起きて冷蔵庫から水を出して飲む。
きっとチャーシューがしょっぱすぎるのだ。
そうして、
「味しねぇ!」
「そんなわけないだろう」
「やっぱり味しねぇ!」
「チャーシュー固っ!冷たっ!しょっぱ!」
「そんなわけないだろう」
「やっぱり固!冷た!しょっぱ!」
という自問自答を繰り返しているうちに、いつの間にか完食してしまうのだ。
食べ終えると、ドヤ顔のオヤジに罰金1000円を支払い、「いやぁうまかったです」と言って店を出る。
そして二度と行かないと誓う。
誓うのだが、数日後、やはり、そんなわけないだろう、と思いなおし、再び行ってしまう。
これを繰り返しているうちに、来々軒の常連となってしまった。
そして、いつのまにか、来々軒のしょうゆチャーシュー麺を定期的に食べないとダメな身体になってしまったのだ。
そんな来々軒が、どうやら閉店したらしい。
2018年2月10日が最後の来々軒となってしまった。
来々軒は私の人生のうちの数年間、生活の一部でした。
素敵な来々軒生活をありがとうございました。