今世紀百物語

生きているのか死んでいるのか

311から5年経ったこと

東日本大震災から5年が経ちました。

戦後2年で日本国憲法が公布されたことを考えると、災害から5年も経ったら相当時間が経ったということだろうという気もしますが、実感としてはそうでもなく、逆に戦後2年で新しい憲法完成する方が早すぎで異常だろうという気がします。あまり遠い記憶でもないので、さすがに当時の映像がニュースなどで流れると心にくるものがあります。

震災直後は日本オワタと思いましたが、5年経ってみると全然終わっておらず、今となっては「アレで終わらないなら永遠に終わらないわ」と、逆に日本の永続を確信しています。

しかし当時は本当にこれは国難だと思い、自分のような人間でも少しでも役に立てないかと思って、震災の1月後くらいに志願して大槌町に行ったんですが、そのときの記憶は将来歳取ってボケても忘れたくないですね。

町に至るまでの山道を下っていくと、ある一定の地点を越えたところから急にがれきだらけになっていて、ここまで津波が来たんだと分かるわけです。津波が届いた家と届かなかった家で明暗が分かれていました。そして町に近づくと、ホーマックがあるんですが、ホーマックの建物の枠組みだけあって中身がすっからかんになっているんです。そしてさらに町に入っていくと、一面瓦礫だらけの赤茶色の世界になっていて、道路だけは瓦礫がよけられていて何とか車両が通行できるようになっているんですが、それ以外は本来建物が建っているところが瓦礫の山になっていて、車から降りてみると、何とも言えない腐敗臭が漂っているわけです。そこを、自衛隊の車両が頻繁に行き来しているわけです。

そんな町の様子を見てから避難所に行ったわけですが、避難所でもやっぱり自衛隊が銭湯とかを設営しているんです。そのころ頻繁に通っていたバーに自衛官がお客さんでたくさんよく来ていて、被災地に派遣されるとか派遣されたとかいう話を聞いていたんですが、自衛官個人個人としてはメンタル的にも色々と大変だったみたいですが、一小市民の私からすると、非日常としかいいようのない被災地に秩序をもたらしてくれそうなのは自衛隊しかいなくて、自衛隊は我々を守ってくれるんだなと実感しました。

避難所にいると、いろんなところから寄付とかが来ていました。どこかの企業の人がぞろぞろと何人かが体育館に入ってきて、「何々会社の方から何々を寄付いただきました」みたいな案内をされて、そのあとその企業の社長とか偉い人が一言「もういてもたってもいられず自社の商品を持ってきました。みなさん頑張ってください。」みたいな話をして、というのが2時間おきくらいに繰り返されていました。

避難している当の被災者は、大まじめな顔で支離滅裂なことを言ってくる人もいて、冗談かと思ったけれどもこのときこの場所で冗談を言う訳がないと思い直して対応したこともありましたし、話を聞いてみると家族も家も何もかもすべて流されてしまったということなのに、極めて冷静な様子で話をしてくる人もいました。そういう方々の精神状態は自分に想像できる範囲を超えているんだろうと思いました。

今後もときどき思い出すと思います。