今世紀百物語

生きているのか死んでいるのか

手帳を買ったこと

今日、手帳を買いました。

自分は引越し単身パックに収まらない荷物は持たない主義で、ミニマリストな方だと思うけれども、未だに捨てられないものもあって、その代表格が過去の手帳なんですが、過去といっても中3か高1くらいからの大分昔のもので、それ以来、毎年年末に、次の年の手帳を買っていたんです。いつも、見開きの左側に一週間の記載があって、右側はフリー記入できるやつを買ってたんです。

もちろん学生に大した予定なんかないので、何か月も記入がないページが続いたりしていて、たまに、模試だとか、バイトの面接だとかの予定が記入されていただけで、大したことは何も書いてないんだけれども、それでも毎年買っていたわけです。

けれども、いざ本格的に働き始めると、仕事の予定はグループウェアを使ってPCとかスマホとかで管理するようになりまして、その内容をいちいち手帳に書き写すなんてことするわけもないので、手帳の必要性を感じず、いつのまにか手帳を買わなくなってしまったんです。

そうしてここ10年ほど手帳を買わずに過ごしてきたんだけれども、断捨離作業をしているときに、ふと過去の手帳を見てみると、こんな記載があったんです。

お金がない。バイトでもしようか。

ここ最近、髙坂勝氏の本とか、ひろゆき氏の本とか、家入氏の本とか読んだ影響もあって、人にはどれくらいお金が必要なのか(必要じゃないのか)と悩んでいたところだったので、月5万円くらいで生活していた当時の自分を思い出し、いやいや、なんかお金が必要かどうかとかいってますけど、そもそも自分もともとそんなふうに月数万円で暮らしてたじゃないですか、と思い直しました。

また、こんな記載もあったんです。

短期バイトの登録の面接に行ったら、「話ちゃんと聞いてました?」と言われた。何だこいつ。

全く覚えていない。本当にこれが自分のことかと不安になるくらい、記憶の断片すら思い浮かばない。
だけれども、よく考えてみると、たしかに、この時期、働き始める前の暇な時期で、東南アジア旅行に行く費用をどう手に入れるか悩んでいた時期なので、稼ぐためにバイトでもしようかと考えていた可能性はあり、そう書いてあるんだからそういうことがあったんでしょう。

そう考えていると、そのときの出来事そのものは全く思い出せないんだけれども、そのときのモヤモヤとした気持ちだけがなんとなく蘇ってきた気がするわけです。

きっと、短期バイトの登録の面接で「話ちゃんと聞いてました?」なんて言われたら、「はぁ?短期バイトの登録の面接で何を圧迫面接みたいなことしちゃってるんだコイツは?」と思ったに違いないわけです。なんかそう思ったときのモヤモヤした気持ちだけが蘇ってきたような気がしたのです。
また、今それを振り返って考えると、短期バイトの登録の面接で「話ちゃんと聞いてました?」とか言っちゃうオッサンの悲哀とか、そういう短期バイト的な単純労働の人材需要に関する当時の東京と札幌の違いとか、当時はあまり考えなかったことも考えてしまい、しみじみしてしまうところもあるわけです。

そんなふうに楽しんでいると、ここ10年近く、手帳を持ってなかったことを何か後悔し始めたんですよ。1か月に2行しか書いてないような手帳でも、ここまでこんなふうに記憶や気持ちを蘇らせることができるのかと。手帳を持たなかったこの数年間は、逆に、こういうふうに振り返ることがもう二度とできないのではないかと。

そんなわけで、早速、手帳の今日の欄に「手帳を買った」と書こうと思います。