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今世紀百物語

生きているのか死んでいるのか

交通事故の治療費を保険会社に払ってもらうと損すること

「一括払い」は被害者にとって損になり得る

交通事故に遭った場合,治療費は,加害者が契約している任意保険会社が病院に対して直接支払ってくれることがよくあります。
任意保険会社のこの対応のことを「一括払い」などと呼ぶ人もいます。

この「一括払い」は,被害者が治療中に治療費を負担しなくてよいので,一見,被害者にとって有利な制度のようにみえます。
被害者の中には,「加害者のせいで病院に通わなければならなくなったのだから,治療費は加害者の保険会社が支払ってくれて当然だ」と考え,「一括払い」の対応を受けられるのが当然の権利であると思っている人も多いようです。
逆に,「一括払い」の対応を受けられず,自分の健康保険を使って治療費3割自己負担で通院せよと言われると,激怒する人もいます。

しかしながら,実際には,被害者に少しでも過失が認められてしまう事故(つまり,過失割合が100:0ではない事故)の場合は,被害者が受領できる賠償金の金額を減らしてしまう制度であり,被害者にとって明らかに損です。

そもそも医療費の一括払いの法的性質はどういうことなのか

任意保険会社は,本来,加害者が被害者に対して支払義務を負う損害賠償を加害者に代わって支払う義務を,加害者に対して負うに過ぎません。
被害者と加害者の契約する任意保険会社との間には,本来は,直接の契約関係はありませんので,被害者が任意保険会社に対して治療費の支払を請求する権利はないし,任意保険会社もこれに応じる義務はない,ということになります。
「一括払い」は,任意保険会社が,義務はないけれども,事実上,被害者の便宜のために,恩恵的なサービスとして行っている立替払いに過ぎません。

義務ではないので,任意保険会社が打ち切りたいと思えばいつでも打ち切ることができます。実際,治療期間が3か月とか6か月経過すると,任意保険会社が治療費の支払を打ち切ることが多々あります。
これに対して激怒する被害者もたくさんいますが,もともと被害者の権利でもなく任意保険会社の義務でもないので,怒る筋合いのものではないということになります。

 「一括払い」の法的性質については,いくつかの裁判例が触れています。
たとえば,大阪高等裁判所平成元年5月12日判決は,加害者の契約する保険会社から「被害者の治療費はこちらで支払いますのでこちらに請求書を送ってください」と連絡を受けた医療機関が,その後,治療費を支払わなくなった保険会社に対し,医療費の支払を求めた訴訟の判決において,以下のとおり述べています。

昨今交通事故の被害者の治療費の支払に関し任意保険会社と医療機関との問で行われている「一括払い」なるものは、保険会社において、被害者の便宜のため、加害者の損害賠償債務の額の確定前に、加害者(被保険者)、被害者、自賠責保険、医療機関等と連絡のうえ、いずれは支払いを免れないと認められる範囲の治療費を一括して立て替え払いしている事実を指すにすぎず、立て替え払いの際保険会社と医療機関との間に行われる協議は、単に立て替え払いを円滑にすすめるためのもので、保険会社に対し医療機関への被害者の治療費一般の支払い義務を課し、医療機関に対し保険会社への右治療費の支払い請求権を付与する合意を含むものではないと解するのが相当である。

また,東京地方裁判所平成23年5月31日判決では,加害者の契約する任意保険会社が,被害者に対する診療を実施した医療機関に対し,医療機関が被害者に対して実施した治療が不当な過剰診療であったとして,不当利得返還請求権に基づき,支払済みの治療費の一部の返還を求めた訴訟の判決において,以下のように述べています。

原告の被告に対する治療費(診療報酬)の支払いは,原告が被害者に対し損害賠償金相当額の保険金を支払い,被害者が医療機関に対して治療費(診療報酬)を支払うべきところ,便宜的に,原告が被害者に代わって,医療機関である被告に対し治療費(診療報酬)を立替払したものであると解することが相当である。

このように,任意保険会社が行う「一括払い」は,あくまで,被害者の便宜のために,恩恵的なサービスとして,事実上行っている立替払いに過ぎず,任意保険会社はこれに応じる義務はなく,いつでも中止できるし,被害者もこれを求める権利はない,ということになります。

もっとも,任意保険会社は,約款上,被害者に対して直接の損害賠償義務を負うことになっているはずであり(それがなければ示談代行が非弁行為となるはずです。),この約定は契約者である加害者と任意保険会社が第三者たる被害者のためにする契約ですから,被害者が受益の意思表示をすれば,民法537条により,任意保険会社に対して直接の請求権を有するはずです。
「一括払い」の対応を求める被害者の言動自体,受益の意思表示といえますから,「一括払い」は,上記約款に基づいて任意保険会社が被害者に対して負った自らの債務の履行であり,「被害者の便宜のために事実上恩恵的に行っている立替払い」などではない と思われます。

しかしながら,裁判例などを踏まえると,現時点では,一括払いは「被害者の便宜のために事実上恩恵的に行っている立替払い」であると解釈するのが趨勢のようです。

健康保険を使わないことによって被害者が不利益を被る場合

さて,最初に述べたとおり,被害者に少しでも過失が認めら得る場合には,「一括払い」の対応を受けて治療費の支払いをしてもらうと,被害者が不利益を被ることになります。
このことは,単純化した以下のモデルケースで検討するとわかりやすいです。

<モデルケース>
損害額 300万円(うち治療費100万円〔1点10円計算で〕)
過失割合 80%:20%

 

<健康保険を使った場合>

(1)治療段階

健康保険を使うので,治療費100万円のうち3割(30万円)は被害者が一旦自己負担することになります(もちろん,後日,加害者に請求します。)。

治療費のうち残りの7割(70万円)は,保険者(健康保険組合や市町村など)が支払ってくれます。

なお,知らない方もたまにいますが,保険者(健康保険組合や市町村など)も,後日,この7割について,加害者に求償請求をします。
保険者が後日この請求ができるように,被害者は,交通事故で健康保険を使って治療を受ける場合は,保険者に,「第三者行為による傷病届」を提出しなければなりません。
この「第三者行為による傷病届」には,事故の概要や,加害者が誰であるか,などを記載します。
保険者は,この届出を頼りに,後日,加害者に対し,保険者が負担した7割の治療費(70万円)の求償請求を行うことになります。

(2)損害賠償請求段階

通常,治療が終了したところで,全体の損害について,加害者(加害者の契約する任意保険会社)に対して損害賠償請求を行います。
このモデルケースの場合,以下の内訳により,被害者は加害者に対して200万円を請求することになります。

治療費  30万円(被害者が自己負担した分)
その他 200万円
合計  230万円

(3)判決等

上記(2)の請求をした結果,被害者に20%の過失割合が認められてしまったとすると,被害者が受け取れる金額は,以下のとおり,184万円になります。

損害額合計 230万円
過失相殺後 184万円(×80%)
→ 184万円の支払が命じられる。

(4)加害者の負担額

加害者が最終的に負担する金額は,以下のとおり,240万円になります。

被害者へ:184万円(判決に基づき)
保険者へ:70万円×80%=56万円(求償に対し)
合計:240万円

(5)考察

総損害額300万円のうち加害者の過失割合80%に相当する240万円を加害者が負担するのは当たり前であり,妥当です。

他方,被害者は,治療中に治療費の自己負担分30万円を一旦負担しましたが,最終的に184万円の支払を受けているので,差引154万円が手もとに残ることになります。

これは,実質的には,治療費100万円のうち被害者が負担すべき20%(20万円)について健康保険を適用し,7割(14万円)を保険者に負担してもらうのと同じことになります。

 

<「一括払い」の場合(1)…1点10円の場合>

他方で,健康保険を使わず,加害者の契約する任意保険会社の「一括払い」の対応を受けて治療費を負担してもらう場合は,次のようになります。

(1)治療段階

治療費100万円は任意保険会社が立替払いをしてくれますので,被害者は自己負担しなくて済みます。

(2)損害賠償請求段階

治療が終了したところで,全体の損害について,加害者(加害者の契約する任意保険会社)に対して損害賠償請求を行います。
この場合,以下の内訳により,被害者は加害者に対して200万円請求することになります。

損害額  300万円
既払金 -100万円
残 額  200万円

(3)判決等

上記(2)の請求をした結果,被害者に20%の過失割合が認められてしまったとすると,被害者が受け取れる金額は,以下のとおり,140万円になります。

損害額  300万円
過失相殺  240万円(×80%)
既払金 -100万円
残額  140万円

(4)加害者負担額

加害者が最終的に負担する金額は,以下のとおり,240万円になります。

医療費  100万円
被害者へ 140万円
合計   240万円

(5)考察

加害者の負担は240万円であり,健康保険を使用した場合と変わりません「一括払い」によって任意保険会社が得をしている訳ではありません。

他方,被害者は,治療中に治療費の自己負担分を30万円を一旦支払わなくて済みますが,その代わりに,最終的に140万円しか受領できません。
これは,治療費のうち自己の過失割合に相当する部分(20万円)について健康保険を適用していないため,その7割(14万円)分,受け取れる金額が減っているわけです。

 

■健康保険を使わない場合(2)…1点12円の場合

さらに困ったことに,健康保険を使った場合と「一括払い」にした場合とでは,治療費の金額も変わってしまうことがあります。
健康保険を使った場合は1点10円で治療費を計算しますが,「一括払い」の場合は自由診療ですので,1点20円とか30円ということもあり得るわけです。

もっとも,あまりに高いと任意保険会社が黙っていませんので,実際上は,任意保険会社と医療機関との了解により,1点12円程度で計算されることが多いようです。
1点12円であっても,治療費の金額そのものが1.2倍になってしまうことになります。

(1)治療段階

治療費は任意保険会社が立替払いをしてくれますので,被害者は自己負担しなくて済みます。
ただし,1点12円とすると治療費が1.2倍になるので,このケースの治療費は120万円ということになります。

(2)損害賠償請求段階

治療が終了したところで,全体の損害について,加害者(加害者の契約する任意保険会社)に対して損害賠償請求を行います。
この場合,以下の内訳により,被害者は加害者に対して200万円請求することになります。

損害額 320万円(治療費120万円+その他200万円)
既払金 120万円
残 額 200万円

(3)判決等

上記(2)の請求をした結果,被害者に20%の過失割合が認められてしまったとすると,被害者が受け取れる金額は,以下のとおり,136万円になります。

損害額  320万円
過失相殺  256万円(×80%)
既払金 -120万円
残  額  136万円

(4)加害者負担額

加害者が最終的に負担する金額は,以下のとおり,256万円になります。

医療費  120万円
被害者へ 136万円
合計   256万円

(5)考察

このケースでは,治療費が1.2倍になったため,総損害額も320万円に増えています。

加害者は,総損害額320万円の8割にあたる256万円を負担することになりますので,加害者は得をしているわけではありません。

他方,被害者は,治療中の治療費自己負担をしなくて済んでいますが,最終的に受け取れる金額が136万円になってしまっています。
これは,1点10円とした場合の治療費100万円のうち自己の過失割合に相当する部分の金額(20万円)について健康保険の適用を受けられないので,その7割(14万円)分受け取れる金額が減ったほか,それに加えて,治療費そのものが1.2倍になり,20万円増えているので,そのうち自己の過失割合に相当する分(4万円)だけ受け取れる金額がさらに減ったということです。

まとめ比較

  治療中の自己負担最終的な受領額--差引--
健康保険を使用した場合 30万円 184万円 154万円
「一括払い」
(1点10円)
0円 140万円 140万円
「一括払い」
(1点12円)
0円 136万円 136万円

「一括払い」をしてもらうかどうかによってこのような差が生じるのは明らかにおかしいのですが,これが現実です。

理屈上は,「一括払い」の対応を受けた場合でも,最終的に被害者に一定の過失割合が認められた場合には,治療費のうち被害者の過失割合に相当する部分について遡って健康保険を適用して7割分を保険者から戻してもらうということが認められても良いように思いますが,現実にそのような対応がなされた例は聞いたことがありません。この点は研究できていません。
「一括払い」の場合は,医療機関に対しては,最初から健康保険を使わずに自由診療で治療を受けると明示しているわけですから,何か月も経ってからやっぱり遡って健康保険を適用して欲しいと言ってもできないのかも知れません。

「一括払い」は消費者被害なのではないか

交通事故に遭ったとき,加害者の契約する任意保険会社は,被害者に対し,「治療費はこちらが全部負担しますから」と言って,一括払いを行っています。
被害者にもある程度の過失割合がありうる場合であっても,「健康保険を使った方がお得ですよ」などと説明して確認をとっている例はほとんど聞いたことがありません。

被害者も被害者で,被害者意識から,治療費は加害者の保険会社に支払ってもらって当然と思い,このような対応に満足してしまっています。
かえって,一括払いを受けられず,健康保険を使って通院した方がいいなどと言われると,激怒し出す被害者もいるほどです。
自分にも少しでも過失割合が認められる可能性がある場合は健康保険を使った方が得であるということを理解している被害者はほとんどいないでしょう。

しかしながら,実際には,上述のケースのように,健康保険を使っていれば差引154万円の支払を受けることができたのに,「一括払い」を受けてしまったために136万円の支払いしか受けられなくなってしまい,18万円も損してしまう例も多々あるわけです。

「一括払い」の対応を受けると18万円も損をする可能性があるのに,任意保険会社がそれを十分に説明せず,被害者の便宜になるという点のみを説明をし,被害者も理解が不十分なまま1点12円で「一括払い」の対応を受け,その結果,被害者が18万円も損するというこの現実は,重要事項に関する不実告知・不告知による被害ですし,「一括払い」によって治療費が1.2倍にした上で全額支払うことにより被害者に損害を被らせているのですから,被害者に対する不法行為ともなり得ます。

上記のとおり,「一括払い」によって任意保険会社が得をしているわけではなく,任意保険会社に悪意があるわけではないでしょうが,それでも,現在の法意識に照らせば,この実態は大規模な消費者被害として顕在化し得るのではないでしょうか。

結論

このように,交通事故に遭ったときに,被害者にも過失が認めら得る場合には,被害者は健康保険を使って治療を受けた方が絶対に得なわけです。

裁判例上,基本的な過失割合が100:0になる事故態様は,追突事故やセンターオーバー事故などに限られており,他の多くの事故は被害者にもいくばくかの過失が認められています。
また,基本的な過失割合が100:0とされている追突事故やセンターオーバー事故であっても,個別事情によっては被害者に過失が認められてしまう場合もあります。 過失割合がどうなるかは,最終的には裁判で決着が付くまでは誰にも分かりません。 事故直後の段階で「この事故の過失割合は絶対確実に100:0だ」と確信できる事故は皆無といってよいです。
したがって,どんな事故であっても,すべての交通事故で健康保険を使って治療するのが正解ということになります。

「一括払い」は,悪意に基づく制度ではないとしても,被害者にとっても加害者にもっても百害あって一利なしの制度であり,やめてしまえばよいのではないかと思います。もし,被害者がお金がなくて,治療費の3割の自己負担分を支払うのも辛いというのであれば,任意保険会社がその3割だけ仮払いで払えばよいだけです。わざわざ被害者に損害を被らせる必要はありません。